ガンダム その2

今ではアメリカも宇宙開発の予算を縮小させている。
当時はアメリカとソ連が宇宙開発を競っていた時代である。
核戦争の恐怖がある一方で、めまぐるしい科学技術の進化によってSF的な世界観が現実になるのでは、そんな(今よりはだいぶ)少年的な希望にあふれた時代だったと思う。
冷戦が逆説的に安定した世界の構造を形作っていた。特に日本の経済は成長していた。

「物語」がいろいろと生産される土壌が共通感覚としてあったと思う。
それは虚構としての物語にリアリティーを感じさるほどの力を有してもいた。
それは具体的にはどういった共通感覚(了解事項)であろうか。
たとえば、前出の宇宙時代が来るというのもその一つである。
その他、民主主義が世界中で達成されるとか、社会主義の世の中になるとか、女性の権利や社会進出が促進されるとか、もっともっと物質的豊かさに包まれるとか・・・。
それらのことがすべて消化不良的に、ある程度達成されたり、消滅したり、相対化されたりし、80年代後半には歴史が終わったということが言われたということを改めて考えさせられる。
そして、ガンダムをそういった時代の雰囲気の中で味わうことはもうできないのだと思った。
そしてその結果、現在は物語が生み出しづらい状況といえるようだ。(正確にはガンダムのような大きな物語はリアリティーを失ったが小さな物語はどんどん多様化している)
物語とは時間の経過により変化していくさまざまな様子が描かれるものだ。
「変化」とはもちろん良い方向にである。時間軸が発展や成長を表すという共通感覚があったはずである。
現在、時間の経過(未来)というものはなにかポジティブなものを連想させてくれるだろうか。これからの世界(歴史)は積極的な理念は生まれず、あきらめを含んだ流れのなかで、いろんなことの現状維持、あるいは動かしがたい条件の中で妥協点を探っていく、というイメージに変わっているのだと思える。
ダイナミックでリアルな物語は無いものだろうか・・・。
なにかマスメディア特有の不安をあおる手法におどらされているような感じになってしまった。嫌です。
面白いことはたくさんあるはずだ。